第一部 開拓篇
序章 「光源の里」



 

 昭和57年8月31日午前 、関係会社定例の統合本部常任委員会が愛知県蒲郡市にある中央研究所会議室で開かれていた。
常任委員会議は、昭和57年6月15日の会議に於いて正式に承認され、最高重役会議に次ぐ関係会社の統一された重要会議であった。
会議を司会するのは、会長西村昌之であったが、実質的な采配は、相談役光源・西村源二郎であった。光源は、既に83歳であり、精神的にも、肉体的にも老いてきてはいたが、実際、翌年、昭和58年4月23日に永眠するのであるが、その時はまだ矍鑠とした威厳と、権限を保持していた。
会議に参加した委員は、会長西村昌之、社長西村成之、社長西村康之、専務西村克之以下、全国から召集された委員を併せて総数13名であった。

議題は、

(1)7月8月の決算報告
(2)資金繰り報告 
(3)健康ふとんの全国販売推進策

であったが、会議の終了近く、光源が、一つの議事を提案した。

提案する光源の表情は、平時と変わりなく、物静かで柔かく、時に、会議室の窓から見える三河湾の煌めく海を遠望しながら、時に、それぞれの委員の目を凝視しながら静かに言い出したのである。それは、「光源郷」土地の分譲についてであった。

 

下の写真は中央研究所(昭和60年)  

中央研究所


会議室に一瞬、緊張が走った。何時の場合でも、相談役、光源の発言には関心が集中するのであるが、この場合は格別であった。
その頃の光源のすべての行動は、光源が自身の人生を終えるための前段階のように各委員は思い始めていたからである。
自身の名を銘した「光源郷土地」とは、会社が所有する北海道伊達市北有珠町に所在する38,000坪の土地を指すのであった。

明治年間、伊達亘理藩が入植し、道南、内浦湾に面したこの土地を開拓したので、伊達市の名があるのが由縁だが、この近辺には、洞爺湖や昭和新山があり、今尚、煙を漂わす有珠山があり、道南でも屈指の景勝地であった。
会社の所有する土地は、規模が大きく、火山灰地の上に原生林が生える未開発の土地であったが、ここからの眺望は、限りなく美観を呈し、一部は観光道路にも提供されていた。この土地を会社に対して功績のあった社員に分譲するというのである。 
光源は、ここに光源の理想郷を打ちたてようと思ったのである。 それは数々の大事業を成し遂げてきた光源の最後の悲願に近いものだった。その端緒として、土地測量を行い、水源の有無の調査も終え、整地計画の途上にあった。 光源の里 当然、そこには規制もあり、その規約の作成を専務伊藤胖に命じていた。伊藤は「太洋土地分譲予約事業目論見書」として、その場に提出した。

1.目的  
2.分譲予定と規模 
3. 分譲の方法  
4.管理委員会 
5.分譲予約の条件 分譲対象者の選別 

目論見書には細部の規約が書かれていた。 
光源の意思が反映された規約であった。 分譲価格の規制もあったが、土地量に比し僅少であり、その場の委員も納得の行くものであり、希望の持てる内容のもので、異議もなく可決されていた。悲願は実現に向けて歩み始めなければならなかった。 
実際に光源はその実現のために「分譲予約証書」を交付し、74区画を功労者、18名に分譲の予約をしたのだった。 
譲り受けの初めは、社長西村成之に10区画、分譲理由は、「東芝、ブラザーに対する渉外、折衝の功労」によるものだった。 その他では、光源が終生、その恩義を失わず、光源の亡き後を託した「コドモわた株式会社」社長、河村寿郎に対し、5区画の分譲などの特別なものもあった。
理想郷の建設は、最後の悲願であり、光源と共に幾春秋を歩いた同士への餞の印であったのだ。光源は、この理想郷を夢見ながら翌、昭和58年1月、辞世の歌を詠んだ。

 

”噫 壮烈 未来に託し 今 我は 心さわやか 光源の里 

辞世  

中央研究所

” 
 

 

光源は、この辞世を、それ以後の会議の席や、会議終了後の慰労会の席、そして、死の間際の床の中で、振り絞るような声で詠い続けたのである。
それは、燃え尽きる前の炎の煌めきのようであった。光源がこれほどまでに固執した北海道の土地とは何であったのか。 
光源は時に、己を「北海道の熊」と表現することがあったが、北海道こそ、84歳を生きた光源の祈りの故郷だったのである。光源は、ここを死に場所と定めたのである。光源は、時に、宇宙の尊厳さを説くことがあった。
  大正11年、23歳、河村製綿所、再勤務の時、将来独立を決意しながら、次のように書いている。

「総ベテ其時代、土地、風俗等、社会的大勢ヲ考ヘ、決シテ時代ヲ逆行スルガ如キ事アルベカラズ。宇宙ノ宏大ナルヲ自然ノ偉大ナルヲ忘ルベカラズ」 と。

光源の実感としての言葉であろう。それは、幼年期、広大な北海道の開拓の地で、幼年ながら体得した光源の哲学でもあった。
 

 

駒ケ岳 噴火湾
有珠山より駒ケ岳遠望 有珠山より伊達市遠望


ウインザーホテル
西村光源創業のベッドが全室に納入されたウインザーホテルから洞爺湖遠望

 



 

 

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